私は10代の学生時代にいじめを経験しました。
そういった事で、思春期の健全な経験ができなくて精神的な未熟さを残した大人になってしまったように感じます。
でも、社会に出るとそんなことはお構いなしに時間は過ぎていきます。
自分の中で少しづつ時間は経っていますが、思春期で時間が止まった自分もいる気がします。
学校では罵詈雑言を言われて常に不安を感じ、家庭では学校は楽しかったと嘘をつき、夜になり布団に入ると明日が怖くて安心して眠れない日々の思春期。。
その不安定だった思春期は大人の自分をも時々不安定にします。
何年か前に、当時の担任の先生と連絡をとって会ったことがありました。
その先生にいじめの過去を振り返った話をした時に「終わったことはもういいの」とあしらわれ、それが自分の中で引っかかる一言になってしまいました。
その言葉は一理ありつつ、私の心の傷への無関心さと温度差を感じましたし、そうやって頭に残っています。
きっと先生の中では社会が世知辛いのは当たり前なんでしょう。
私はいじめも無駄な経験だったと一言で片付けたくなくて、負の経験であるものの価値を見出し、自己実現や他社実現に繋げていくつもりでいます。
具体的な行動としては、美容師など人に尽くす職業選択をしたり、困った誰かの声を受容することです。
身近な人の例では恋人に起こした行動で、心の闇の頼りになろうとしたことです。
恋人の細かいことは伏せておきますが。。
自己満足ながらそうやって自分を昇華させています。
そんな折り合いをつけて今はいます。
読んでくださりありがとうございます。