小川洋子さんの「博士の本棚」を読みました。
この著者 小川洋子さんは調べたところ、アンネ・フランクに影響を受けた人だそうです。
この「博士の本棚」にもアンネに纏わる内容もありました。
奇遇にも私もアンネ・フランクが好きなので、ちょっとした共通点に嬉しさを感じます。
私はアンネが日記を書き始めた年齢以前から「アンネの日記」を愛読をしており、そしていつの間にか彼女の止まってしまった年齢を遥かに超えてしまいました。
自分の成長の過程で「アンネの日記」という本に出会えたので、私を見守ってくれた一作品のように感じて思い入れの強い作品です。
また、思春期のアンネの感受性や想像力は強くて心の描写はとても鮮明であり、確かに10代の私の心に響いていました。
今でも読み返すと解釈や物の見方が変わり、意味がより深くなるようで時々読み返しています。
そんな理由で「アンネの日記 完全版」を大切に持っていますし、私にとってのベストセラーでおすすめです。
その小川洋子さんはホロコーストを経験し、そのアンネを実際に知る人と会ったことがあり、そのことについてこう綴られていました。
ホロコーストで亡くなってしまったアンネと生き残った自分がいるそのコントラストで、その自分が生き残ってしまったことの罪悪感で苦しんでしまうのだろうと。
「生き残った」ではなくその「生き残ってしまった」という表現に私は感情を揺さぶられました。
悪いことをしたわけでもないのに、生きることに罪を感じるその感覚を想像して私なりに苦痛を共有しました。
アンネの視点だけの本を読んでいるとなかなか出会えない感情でした。
ちなみに偶然にも私の祖母はアンネ・フランクと同じ年に生まれました。
所謂アンネと同い年です。
また、私の祖母は今も健在です。
祖母とアンネを重ねてみると、今もアンネが生きていたらどんどん愛情や友情を経験して人生を謳歌し、孫やひ孫に恵まれていたのかもしれないです。
それは悲劇であり可哀想なことだけれども、アンネは崇高な聖少女として称えられるのではなく、1人の等身大の多感な女の子として扱ってほしいのかもしれないと私の解釈ではそうです。
アンネは上にも下にも人を作らず、着飾らない姿で日記におさまっているのでそう想像してしまいます。
1人の精一杯生きた少女として日記だけに収らず、私の胸に焼き付いて離れない人です。
小川洋子さんや私、また誰かの心の中でアンネは生きているのかもしれません。
読んでくださりありがとうございます。