Mrs.リカバリー

元美容師。統合失調症持ち。日々、自分の新しい生き方を模索しております。夫婦ふたり暮らし。30代、働く主婦の日記。

健常者と障害者の隔たりは、ただの言葉。

健常者と障害者という言葉があります。

 

どこからが健常者で障害者かの区分なんて、人工的に作った基準でしか推し量れなく、健康状態はグラデーションのようになっていると、私は考えるのです。

ので、健常者と障害者の間には、その言葉というの隔たりがあるだけだと、私はそう考えています。

 

 

健常者と呼ばれる人でも障害者と呼ばれる人より、とても苦痛な思いをしていたり、何も喋らないすごく暗い性格の典型的な病人めいた方もいたり、そういったこともしばしばあるでしょう。

また健常者と呼ばれる人の中にも、明らかに健康を害しているのに事情で病院にかかりたくてもかかれない方も居るでしょう。

 

逆に、障害者と呼ばれる方の中にも、健常者の方より有能で優秀な方も居ますし、普通に生活もされる方もたくさんいて、お仕事や学業で無欠勤無遅刻無早退でお勤めや修学でも結果を残される方も居るのです。

 

 

 

健常者と障害者の間には、そう。。

ただの、言葉の壁があるだけなのです。

 

 

 

 

と、私はそう思っています。

 

いろいろ理由があって、私は障害者と呼ばれる方が多く通われるデイケアに、しばらく通っていませんでした。

しばし、健康的でないが故、会話の中身が病気という一般的にネガティブなイメージの話が多く交わされたり、病気の性質上、社会性に欠けてしまう人も多く集まるわけです。

 

もちろん、健常者、障害者に関わらず、私自身も言葉や学びであったり、彼ら彼女らに助けられているところはたくさんあります。

なので決して、社会の役立たずとか出来損ないのような、下俗な世間に出回るような意味をつけることはしません。

 

 

それを弁えていても、私自身が一般社会の中に溶け込んできたことで、会話の内容であったり社会性などの違いから、障害者の人々との関わりに違和感を覚え始め、その障害者という言葉を持つ人々から遠ざかろうと思う気持ちが、私の中で日に日に強くなってきたのです。

私も健康な社会性を持つとは言い切れませんが、健康な社会性を磨く上で支障があるので、遠ざけたく思うのです。

 

 

自分の持つ統合失調症というものは人生に持続的で大きな衝撃を与えたのは事実で、その後の障害者としての時間が長かった分、私はこれからの未来を変えたいですし、新しい生き方をして健常者でも障害者でもない、自分であることを見据えていきたいのです。

統合失調症は自分という人間の一部でしかなく、病気云々以前に私という一人間でありたいのです。

 

できるだけ、社会の中に生きると決めた自分としては、やはり望みは一般社会により馴染むことです。

もう、不必要な病気の話はしないし、今ある人間関係も尊重しつつ健康的な人間関係を築いくように努めたく思います。

一般社会に生活していく行動を伴う意志を、自分で強く持つことが、健常者と障害者の言葉の隔たりを超え、健康のグラデーションの中のより健康側に近づく一歩なのではないのかと思うのです。

 

 

 

 

読んでくださりありがとうございます。