自分が無力だと感じる時、私は思い出すことがあります。
「何の才能もない」と言った、前の上司の言葉を思い出します。
前の上司は私の経歴を列挙し、「どの経歴も何の才能もない」と指摘してきました。
私は過去に看護師を目指して看護学校に在籍していました。
高校生の頃から進路は看護科と決めていて、私の想いでは人に尽くすような仕事である看護師に熱い情熱を持っていました。
しかし、在学中に体調不良で酷く痩せてしまい、中退しました。
人に尽くしたい。
人の役に立ちたい。
そんか想いがあって私の思い思いの経歴はあります。
でも、「何の才能もない」と、簡単に一蹴されました。
私にはかなりの否定の言葉で、悲しかったですし、無念でなりません。
場面は変わって。
元総理大臣の安倍晋三さんが事件に巻き込まれた時に、医師や看護師さんが現場に呼び集められていました。
中継でもニュースでも流れていました。
でも、私は助けたい意志に対して何もできません。
距離などの物理的にではなく技術的にも。。
上司の言葉の通り「何の才能もない」と自覚してしまう状況です。
なので、死そのものも悲しかったですし、同時に無力さも悲しかったです。
私は誰かの役に立ちたいです。
安倍晋三さんや看護師などの話は振り切っているかもしれませんが、確かに誰かを守りたいのです。
元上司に傷付く言葉は言われても、私の気持ちは変わりません。
先日、我が家の亡くなった猫ちゃんの猫砂を寄贈した団体さんから封筒が届きました。
感謝の手紙と納品書が入っていました。
そういった見返りが目的ではありませんが、嬉しく思います。
これで終わりではなく、お節介であってもまた出来ることがあれば、どこかで自分が役に立つことをしたいです。
読んでくださりありがとうございます。