今、夜中の3時ごろです。
寝ている夫を起こさぬように、横でパソコンをカタカタしています。
今日はつい嬉しくなる不思議な夢を見ました。
目を覚ますと、もう少し夢の中に居たかったような気持ちです。
こうやって夢日記を書くと精神が狂うと噂で聞くので、夢日記は本来書かないポリシーです。
また、おばあちゃんにも夢は忘れなさいと言い聞かせられて育ちましたし。
でも、ちょっこら書きます。。
“家族と実家を片付けていたら、私が自分宛に書いた手紙を見つけて、それを読む夢でした。
その自分から自分宛の手紙の量は結構なものでした。
その手紙は私が小学生の頃に書いた設定で、なぜか便箋がめちゃくちゃ折り畳まれて封筒に入っていました。
そこには「お茶子ちゃんは商売上手だねと友達が言っていたよ」と、書いてありました。
そんで、めちゃくちゃ字が汚いと・・・。”
ここで目が覚めました。
幼かった私は感性豊かで非常に内向的な子どもであり、頭の中で想像上の物語を創ったりイマジナリーフレンドも居ましたし、お人形遊びや絵をよく描く子で、ひとり遊びばかりでした。
自分の中に秘密基地みたいな内緒の居場所がガッツリありました。
1人の場面は多かったですが、居場所が自分の中にあるので孤独は感じませんでした。
そういった一面があるからこそだと思うのですが、やっぱりお友達は少なかったです。
周りの人はそんな私に良いことを言わなかったり、大人も皆んなと友達になりましょうと勧めていましたし、そんな周りの期待に応えられない自分を嫌ってもいました。
今日の夢はそんな昔の自分らしい行動だなと思えました。
自分語りみたいになってしまいますが、人間を分類してみて自分は外交的な人間の中で最も内向的な部類だと思っています。
私は裏表のない人間というより、自分の内に意識が向けた内向的な自分と、その外にいる人達を意識する自分の2人がいる、この2つを使い分ける二面的な性格です。
自分ではそう勝手に自己解釈していますが、今は大人になるにつれ少しづつその二面性が一面に統合されてきている気がしています。
成熟していく裏返しで感性が鈍くなったのか幼心を忘れてきているのか、自然と内向的な自分が小さくなって忘れかけているのを、今日の夢は教えてくれたのだと。
それに善悪とかの意味付けはなくて。。
日付が変わって今日は病院が指定したコロナの隔離期間が終わります。
まだ職場規定の隔離期間がありますけども。
想像の空を羽ばたき想像の大海を自由に泳ぐ内向的な私にまた会いたいと思えたので、おうち時間や1人のお出かけをしてひとり思い耽る1日にしたい。
こういうのって子ども帰りというのか、あまり上手く言えないのですけども。。
そう思えました。
好奇心が理由ですが、自分宛に自分で手紙を書いてみたいかも・・・
読んでくださりありがとうございます。