とある過ぎたる日の出勤前、とても精神的に重い気持ちでした。
仕事の状況やそこでの人間関係、仕事と家庭との両立を考えると、仕事に行くのが苦痛に感じてしまい、過呼吸になるような焦燥感と不安、他者と自己への嫌悪の念に襲われ、その日の朝が奴隷の朝に思えて仕方がありませんでした。
でも、とりあえず重い足を引き摺りながら出社。
出社後、まともに仕事ができる精神状態だと、まずは上司に気持ちを伝え、上司からその精神状態をずるずる雪だるまみたいに膨らんでいって事態が悪化するくらいならと、その気持ちに対するフィードバックを頂き、有給という形でお休みを頂戴しました。
その後、そのまま職場を後にしました。。
そして、その1日の仕事が無くなった私は、欠勤で迷惑をかけた人達のことに思いを馳せ、罪悪感と無様で惨めな気持ちになった。
そして、一周回って自分自身に「ざまあみろ」と言い聞かせた。
現実より、気持ちを優先させた罰だ。
やっぱり現実から逃げると、それなりに苦しいんだ。
戒めの一日となった。。
私が考えているほど、職場や家庭の皆んなは考えていないし、人間関係において他人の良いところも悪いところもある。
同様に、自分にも良いところも悪いところもある。
他人が言うことの中には、嫌でも聞かなければならないものも、為になることもあって、それらは納得して受け入れるものである。
自分の聞き心地の良いものばかりを聞いて、都合の悪い部分を環境や健康のせいにして認めないのは、利己的で損得勘定である。
とても厳しいが自分の問題が潜んでいる場合もある。
自身が困っていると、考える余地もないかもしれないが、私を助けるために多くの動いてくれる人の存在にも目を向けるべき。
それを考えることができると、少し大人な思考なのじゃないかという、私の発見であった。
時間が経った、今はなんとか勤務もしている。
自分の異様な自尊心と強がりから、必要以上に背負い過ぎだし、考えすぎかもしれない。
けれど、私が辛い時に、私を守るために支えて動いてくれる人が沢山いることと、その気持ちを想像できる人間でありたいと思った。
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