私にとってブログは、誰かが自分の想いを知ってくれる。
そんなツール。
誰かが居てくれるその存在感が嬉しい。
私にとって母は、遠い存在だったね。
長年、気を遣い遠慮し合って、到底、何でも話し合える関係じゃなかったね。
お互い無関心が当たり前なのが理由で、子どもである私に精神疾患を招いてしまい、辛い思いをしたことが母と娘共々、悔しいかった。
だから今は親子をやり直すのを努めている最中なんよね。
中学時代、登校前の私が通学自転車にまたがり、学校へ行くのが怖くて、いじめの辛い気持ちを報告をした時。
あなた、お母さんは、「笑っておけばいいよ」と、学校へ行くように見送りましたよね。
それ以降、私は我慢を選んだ。
その間もなく、あなた、お母さんは癌になり、姉は病気になり、もう私には我慢を通すしか選択肢はなかったね。
お母さんが癌の闘病で入院してても、私はお見舞いにも行く発想がなかったよ。
私を含め、あなたの我が子は誰一人お見舞いに行かなかったくらい無関心だったね。
お母さんは不思議だったみたいだけど、あなたは子どもたちに無関心だったから仕方ないね。
あれからは、いじめで何をされても無反応な自分を選んだ。
やり返さないし、相談もしないし、されっぱなしで、ただ黙って立ち尽くしていじめを受けているだけ。
同級生からは何考えてるかわからない生徒だったそうだよ。
毎日毎日、みぞおちに高熱のマグマがドロドロ渦巻いているようで、ものすごく苦痛だったよ。
お父さんは仕事しかしてなかったね。
存在感がないよ。
家では特に喋らないし。
今現在も私がどういう風に生活してるか知らないみたいだね。
ごめんだけど、私には父親という形式上の尊厳しか、存在感はありません。
よくも私の努力を過信してくれましたね。
5年間も、学校でいじめられているのにも、既に統合失調症になっていることすら気付かないでいてくれて。
ずっと、ずっと。
見て見ぬふりをしてくださりありがとうございます。
お母さんは、我が子がいじめられているのも、精神疾患に罹っているのにも気付かないなんて、馬鹿な親だと振り返りましたね。
ちなみに父は無言でした。
育てられないなら、子どもなんて産むなよ。。
と、子どもを作る意思の失せた自分に言い聞かす。